日本企業におけるITガバナンスの変革
経営戦略とテクノロジーが融合する新時代のリーダーシップとは?「マインド編」

ITを事務効率化の道具として扱うという固定観念は、日本企業におけるITガバナンスの大きな課題です。この課題を解決するには、CIOがプロセスとデータを束ねる横串となり、「守り」で培った暗黙知をデータへ変換して、テクノロジー起点で中長期戦略を描くという、「攻め」の覚悟が求められます。IT部門が経営を動かす存在になるには、どのような「マインド」で臨めばよいのでしょうか。サイボウズ 執行役員 情報システム本部長の鈴木秀一が、CIO Lounge 理事長の矢島孝應氏と意見を交わします。

特定非営利活動法人 CIO Lounge 理事長 矢島 孝應氏

特定非営利活動法人 CIO Lounge 理事長

矢島 孝應氏

サイボウズ株式会社 執行役員 情報システム本部長 鈴木 秀一

サイボウズ株式会社 執行役員 情報システム本部長

鈴木 秀一

「経営とITの分離」という構造的問題

鈴木サイボウズには情報のオープン性を非常に重視する文化があり、経営層とのコミュニケーションや情報のインプットという点では、非常に恵まれた環境にあります。しかし、得られた情報を具体的なIT戦略へと昇華させ、売上や経営指標にどう直結させるかという点は、まだ模索中です。特にIT部門は支援部門としての側面が強く、直接的なビジネス貢献を定量化することの難しさを感じています。矢島さんは多くの企業でCIOを歴任されましたが、日本企業の成長を根本から阻んでいる構造的な問題はどこにあるとお考えでしょうか。

矢島氏日本企業の多くは依然として「経営とITの分離」という深刻な病を抱えています。その背景には、日本の製造業が長年維持してきた一種の階層意識があります。かつては技術、経理、営業が上位に置かれ、情報はそれらを下支えする補助機能でしかありませんでした。IT担当者は「3K」と揶揄されるほど過酷な環境でシステムを支えながらも、経営層から正当な評価や処遇を受ける機会が乏しかったのです。この歴史的背景が、経営者がITを「事務効率化の道具」と見なしてしまう、誤った認識を植え付けました。その結果、優秀な人材は処遇の良いベンダー側へ流出してしまっています。米国ではエンジニアの7割が企業内に所属するのに対し、日本ではエンジニアの7割が外部のベンダー側に偏っており、この歪な構造が定着した原因の一つがこの誤認にあります。この圧倒的な企業内エンジニア数の格差こそが、日本のIT体質を脆弱にし、経営の足かせとなっている本質的な問題です。

「経営とITの分離」という構造的問題

全体最適を司る「プロセスオーナー」と「データオーナー」の確立

鈴木IT部門を組織の最下層と見る意識は、現場のキャリアパスにも影響しています。IT担当者はテクノロジーやデータの管理といった専門領域には習熟しやすいですが、エンタープライズ・アーキテクチャの最上位にある「ビジネス・アーキテクチャ(BA)」、つまり経営戦略そのものの設計に踏み込むことには心理的にもスキル的にも高い障壁を感じがちです。サイボウズでも、現場の利便性を優先してシステムを業務に合わせようとする「個別最適」の要求が強く、それが保守コストの増大を招くジレンマがあります。ITリーダーがこの「BAの壁」を乗り越え、経営と実効性を持ってつながるには、具体的にどのような視座を持つべきでしょうか。

矢島氏CIOが企業全体のデータと業務プロセスを完全に把握し、組織の縦割りを貫通する「プロセスオーナー」として機能するのが理想です。組織は放置すれば必ず自部門の利益を優先する縦割りになります。例えば在庫管理では、経営はキャッシュフローのために減らしたいと考え、営業は売り損じを防ぐために持ちたいと考え、工場は生産効率の観点から大量に作りたいと考えるものです。これらの相反する利害を、データに基づき横串で調整して最適解を提示できるのはIT部門だけです。製造業の命である部品表(BOM)にしても、設計から製造そしてサービスまで一連のライフサイクルとして情報を一括管理する「データオーナー」がいなければ、全社最適は実現しません。業務間の投資プロセスをすべて掴むプロセスオーナーとしてBAの領域に踏み込むこと、これこそが、IT部門が経営の主導権を握るための唯一の道なのです。

鈴木お話を伺い、IT部門の強みは「情報の流れをせき止めない横串の視点」にあるのだと確信しました。しかしながら保守・運用に長年従事してきた担当者にとって、自ら企画し、経営を動かすインサイトを提示するのは、これまでの経験にはない飛躍を求められる作業です。サイボウズでも、プロジェクトによっては「言われたことを正確にやる」という受託的な進め方になってしまうケースがあり、そこから自発的な創発を促すことに難しさを感じる場合があります。運用の安定性を維持しつつ、現場の意識を「攻め」へと転換させるための実践的なアプローチはあるのでしょうか。

矢島氏まずは「守り」の価値を経営戦略上の強みとして再定義してください。水道や鉄道といった社会インフラが当たり前に動くことに対しては誰も感謝しませんが、それらが止まれば社会は麻痺してしまいます。ITも同様に、組織にとって不可欠な基盤を支えているという誇りを持つべきです。その上で、攻めの姿勢を養うための仕組みが求められます。例えば、業務時間の5%を自由な研究や開発に充てるルールを設け、若手の創発性を引き出す試みが有効です。また、これからのAI時代においては、データの整理や分析の一つをとってもテクノロジーの深い理解が不可欠です。IT部門がデータから「特定の行動をする顧客は買い換え確率が数倍に跳ね上がる」といった経営判断を加速させる具体的なインサイトを導き出し、経営者の興味を引くことができれば、組織内での立場は劇的に変わります。

テクノロジーを起点とするリーダーシップ

鈴木サイボウズではkintoneを活用し、現場の人間が自らの課題を自ら解決する「ITの民主化」を推進しています。IT部門を単なる開発の請負から解放し、より高度なガバナンスや戦略立案へシフトさせるのが狙いです。しかし、現場の自由度を高める一方で、マスタデータの統一性やセキュリティをどう担保するかという新たな課題も浮上しています。矢島さんが提唱する「全社員SE化」というビジョンは、組織全体をどのように変容させ、どのような着地点を目指すものなのでしょうか。

矢島氏現代の経営環境を分析する際、私は「TPES」という概念を提唱しています。従来の「PEST(政治、経済、社会、技術)」という枠組みでは、テクノロジーは環境因子の一つに過ぎません。しかし現在は、テクノロジー(T)が政治(P)や経済(E)、社会(S)のあり方そのものを規定し、変容させる主導的な役割を果たしています。言い換えれば、テクノロジーを見通せない経営者が正しい中長期戦略を立てることは、もはや不可能なのです。この認識の下で進める「全社員SE化」とは、全員がプログラムを書くことではありません。ITを「読み書きそろばん」のような必須リテラシーとして全社員が使いこなす状態を指します。現場が自分たちの課題をノーコードツールなどで自律的に解決し、IT部門はそれを見守りつつ全体最適の観点から「どこを縛り、どこを現場に委ねるか」という高度なガバナンスを効かせる。ITを全社員の武器へと民主化し、組織全体の機動力を最大化することこそが、私たちが目指すべき最終的な着地点です。

鈴木これまでの議論を通じて、経営とITの接続とは、単に会議に同席することではなく、テクノロジーを起点にビジネスの構造そのものを再設計することだと理解できました。「守り」で得られるデータインテグリティの確保こそが、AI時代の「攻め」の経営を支える最強の基盤というわけですね。サイボウズにおいても、現場の創発力を活かしつつ、経営を加速させるプロセスオーナーとしての役割をIT部門が担えるよう、私自身が先頭に立って変革を推進していきたいと思います。

矢島氏大いに期待しています。テクノロジーを理解していない経営層は、これからの時代を生き残れません。逆に、テクノロジーを自らの武器として理解し、プロセスとデータを統合できるリーダーが経営の中核に座れば、日本企業は劇的な進化を遂げることができます。IT部門が経営と現場をつなぐ「懸け橋」となり、テクノロジーを全社員の共通言語へと変えていく時、日本企業の真のDXが完遂され、新たな成長軌道へと復帰することができるはずです。

テクノロジーを起点とするリーダーシップ

――後編では「実践編」として、IT部門が経営を動かしていくための具体的なアプローチを紹介していきます。